2020年01月17日

日本神話と魏志倭人伝

こんにちは!

久しぶりにカテゴリ【日本の始まり】の話です。

今回は、卑弥呼と台与を日本神話に紐づけてみました。
時間がなくて、まとまっていないのですが、ザックリ言うと

アマテラス=卑弥呼
アマテラス2代目=ヨロヅハタトヨアキツシヒメ(万幡豊秋津師比売)=台与
アマテラス=卑弥呼の死は、狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ)=スサノオに原因がある可能性が高い。
台与の時代は、祭祀はアマテラス、政治は天皇という体制が欠史八代の間続いた。
箸墓古墳は、卑弥呼、台与の時代のものであるので、どちらかの墓である可能性は高いが、
埴輪なども出土しているので魏志倭人伝の内容に照らして矛盾もあります。

himiko.jpg

まとまっていませんが、流れは次のとおりです。【】内は、私の私見です。

倭国で男性の王の時代が続いた(70-80年間)が、その後に内乱があり(5-6年間)、その後で一人の女子を立てて王とした(卑弥呼【アマテラス】の即位)。

倭の女王卑弥呼【アマテラス】と狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ) 【スサノオ】とは平素から不仲であった。
それゆえ倭国は載斯烏越(さしあえ) らを帯方郡に派遣して狗奴国との戦闘状況を報告させた。
これに対し(魏の朝廷は) 塞曹掾史の張政らを派遣した。邪馬台国に赴いた張政らは証書と黄幢を難升米(なしめ)【高皇産霊尊またはオモイカネ】 に授け、
檄文を作って諭した。
卑弥呼【アマテラス】が死んだ【天の岩戸隠れ・・天皇が崩御することをお隠れになるという。】ので大いに冢を作った、径は100余歩である、殉葬された奴婢は100余人である。

卑弥弓呼【スサノオ】との不和、狗奴国との紛争もしくは難升米【高皇産霊尊またはオモイカネ】の告諭が死の原因ということになる。
そのために狗奴国の男子王の卑弥弓呼【スサノオ】に卑弥呼【アマテラス】は殺されたと考える説もある。

【天の岩戸から再登場したアマテラスは2代目のアマテラスで宗女台与であり、ヨロヅハタトヨアキツシヒメ(万幡豊秋津師比売)であります】
【アマテラス2代目のヨロヅハタトヨアキツシヒメ(万幡豊秋津師比売)は、もともと降臨するはずだったオシホミミの后で、天孫ニニギ(とニギハヤヒ)の母です。】

247年日本に派遣された張政は、台与【アマテラス2代目】を相手にしていることから、この時には、すでに卑弥呼【アマテラス】は死んでいた。
よって、卑弥呼【アマテラス】は、240年から246年ごろに死んだと考えられ、
在位期間は、173年〜246年までの【67年間から】73年間と推定される。台与と同じく13歳で女王になったとすれば、没年の推定年齢は【80歳から」86才である。

魏志倭人伝によると、卑弥呼【アマテラス】が「女王」に共立されたのは、2世紀に起きた「倭国乱」の後である。
倭国乱を「男王がいて七、八十年経った頃」としており、その始点を107年の朝貢とすると、177-187年に倭国乱があったことになる。
これより卑弥呼【アマテラス】の共立は184〜189年となる。

卑弥呼【アマテラス】死後、男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ。

魏志倭人伝には卑弥呼【アマテラス】が死去した後、男王が立ったが治まらず、
壹與【台与ーアマテラス2代目ーヨロヅハタトヨアキツシヒメ(万幡豊秋津師比売)】が女王になってようやく治まったとある。
この卑弥呼【アマテラス】の後継者である壹與(臺與)=台与はアマテラスの息子アメノオシホミミの妃となったヨロヅハタトヨアキツシヒメ(万幡豊秋津師比売)に比定できるとする。
つまり卑弥呼【アマテラス】の死後男子の王(息子か?)が即位したが治まらず、その妃が中継ぎとして即位したと考えられる。
これは後のヤマト王権で女性が即位する時と同じ状況である。ちなみにヨロヅハタトヨアキツシヒメは伊勢神宮の内宮の三神の一柱であり(もう一柱はアマテラス)、
単なる息子の妃では考えられない程の高位の神である。
(資料ページ・・なぜかリンク切れ)

記紀には、当初からアマテラスが単独で登場することが多かったが、天の岩戸隠れ以降、アマテラスが高木神と一緒に登場することが多くなったのは、
卑弥呼【アマテラス】が台与【アマテラス2代目】に変わった為、まだ13歳と若かった台与の父である高木神が補佐していたのだと考えることができます。

jinnmu.jpg

【台与ーアマテラス2代目ーヨロヅハタトヨアキツシヒメ(万幡豊秋津師比売)が女王に即位後にニニギ(とニギハヤヒ)を降臨させたようです。】
【以降、祭祀はアマテラス(台与)、統治は天皇、軍事は天皇の機関という体制が作られていき、台与の死去まで続いたものと思われます。】
(※資料:私は日本神話では祭祀、統治(豊穣、生産、医療などを含む)、軍事の三つに分けるべきだと考えます。
この場合、祭祀はアマテラス、統治はスサノオ、オホクニヌシ、軍事はツクヨミ、スクナヒコナとなります。
なお、神武東遷では、祭祀及び統治はイワレヒコ、軍事はイツセ(イツセ死亡後は、タギシミミ)ということになりましょう。
ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源 「スサノオ神話」の真実


台与【アマテラス2代目ーヨロヅハタトヨアキツシヒメ(万幡豊秋津師比売)】の在位期間は、248年〜305年の57年間と推定され、没年は70歳前後
台与【アマテラス2代目】が女王に共立されたのは248年前後と考えられる。その後は、天皇の陵墓を見ても分かるように、8代の孝元天皇までは小さな墳丘であることから、
政治の実権は台与にあった。9代開化天皇の陵墓は、約100mの前方後円墳であるが、
西殿塚古墳、箸墓古墳など200mを超える当時の大型古墳より小さく、この時代も台与【アマテラス2代目】が統治していたと考えられる。

「この箸墓古墳は長さが280mもあり、当時としては最大の古墳である。
一皇女が天皇の陵墓を遙かに凌ぐ大きな古墳に埋葬されるとは考えられない。
3世紀後半の最高権力者は台与【アマテラス2代目】であり、彼女がこの古墳に埋葬されたと考えられる。

箸墓古墳 「布留0式」の土器表面に付着した炭化物をC14法で測定し、240〜260年の範囲とした。C14法には不安定要因があり、
この年代であれば50〜100年程度はばらつく。
240〜340年の広い幅であるとしかか言えないとしている。従来通り、箸墓古墳の築造は3世紀末から4世紀初頭するのが妥当である。
この年代であれば、台与が箸墓古墳に葬られたとするとしても矛盾はない。」
(資料ページ・・なぜかリンク切れ)

以下、資料のまとめ

備考:スサノオAD121(122)〜185(186)アマテラスは同年代推定86歳(AD200年超位)まで生きた。大国主はスサノオより少し後の年代。
卑弥呼の死は240年から246年ごろ。在位期間は173年〜246年までの73年間
卑弥呼の共立は184〜189年⇒【卑弥呼をアマテラスとするなら、スサノオの生きた年代(≒アマテラスの年代)を40年ほど後へずらす必要があります。誤差の範囲と考えることもできます】
台与の在位期間は、248年〜305年の57年間と推定され、没年は70歳前後
箸墓古墳の年代(240〜260年)測定は誤差が大きく、卑弥呼、台与の両時代を含む・・どちらかの可能性が高い。伝えられている通り女性の墓ならば、欠史八代の天皇より大きい前方後円墳。

(資料:原田常治氏は、日本各地の神社の古い伝承を整理して、『日本古代正史』(同志社、昭和51年)で
スサノオの生没年をAD121(122)〜185(186)年と推定しています。原田説をすべて信ずるわけではありませんが、
多くの傾聴すべき事項を含んでいます。)
こう考えますと、アマテラスもスサノオとほぼ同じ時代、オオクニヌシはそれよりもやや下る時代に生きていたと
考えても良いでしょう。記紀は、そう古くない時代の「事実の伝承」を多分に含んでいるのです。)
ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源「スサノオ神話」の真実

目からウロコの新しい発見!縄文語辞典、古代史の新解釈 ぜひこのサイトをご覧ください!
井上政行ホームページ「ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源」
カテゴリ「日本の始まり」の記事で、、最も影響を受けているのが、このホームページですが、私は、思うがままに私見を並べているだけなので、内容には大きな違いがあります。
ぜひ、上記のホームページをご覧になって、次元の高い見識に触れてください。


少しでも日本の始まりに興味を持ったら
やる気スイッチ
一日一回 押してくださいm(_ _)m
   ↓

語学(日本語)ランキング
にほんブログ村 考古学・原始・古墳時代
FC2 Blog Ranking


posted by 横浜信玄 at 09:37| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日本の始まり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: